捨てられない自分を肯定してみた
斷捨離と云ふ言葉が流行つた時期がある。Wikipedia曰く、
「断捨離」のそれぞれの文字には、ヨーガの行法(ぎょうほう)である断行(だんぎょう)・捨行(しゃぎょう)・離行(りぎょう)に対応し、
という意味がある。
すなわち「断捨離」とは、不要な物を「断ち」「捨て」、物への執着から「離れる」ことにより、「もったいない」という固定観念に凝り固まってしまった心を開放し、身軽で快適な生活と人生を手に入れようとする思想である。ヨーガの行法が元になっているため、単なる片付けとは異なるものとされている。
とある。「勿體ない」を世界に発信した日本人とは逆の精神が關係してゐるらしい。
テレビも雜誌も、「捨てよ」「減らせ」と唱へてゐたが――端から私はその波に乘る氣がなかつた。床に積まれた舊い雜誌の山も、読みかけの本も、まだ手を付けてゐない本も、一切手放す氣にはなれなかつたのである。
例へば舊い雜誌は、情報としてすぐに陳腐化するものである。今現在、Webブラウザを開いて知りたい事を檢索すれば、あつといふ間に最新のトレンドを知ることが出來る。しかし、舊い雜誌のその頁を捲るたびに、掲載された當時の空氣や、見たことのある広告の竝びに、「その頃の自分」がふと現れることがある。
つまり、私にとつては雜誌は、ただの「記事」ではなく「時代の切り拔き」なのだ。
しかしながら、私の12疊の部屋は雜誌や専門書でいつぱいの状況である。捨てればいいではないかと人は云ふだらう。使用可能な床面積が増えるたびに、確かにちよつとだけ嬉しい。だが、同時に何かを失つたやうな氣持ちにもなる。
捨てることで得られるのは「空間」で、本を殘しておくことで得られるのは「空氣」だ。
結局のところ、私は“床面積”ではなく“感情の沈殿”や“舊い知識の牢屋”の上に暮らしてゐるのかもしれない。それでも、本に埋もれたこの部屋が大好きでたまらないのであるから、まあ、それでいいではないか。
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