30歳までには死ぬと思っていた
何故か昔から、自分は長くは生きられない氣がしてゐた。母も同じことを言っていた。「30歳位で死ぬと思ってた」と。
しかし、母は28歳で私を産んで、「もう死ねないな」と思い直したらしい。
私にはその轉機がなかつた。結婚も、出産もしてゐない。だが、氣が附けばすでに30歳を過ぎてしまつて、しぶとく生きてしまつてゐる。
死ぬはずだと思つてたのに、何故だか、私はまだ生きてゐる。
死ぬのって、案外むずかしい
例へば、田舎には飛び降りられる高層ビルがないし、車で單獨事故で死ぬのも結構迷惑をかけさうである。衝動的に首を吊つても多分失敗するだらう。だつて、苦しくなつたら人間つてのは本能的に、體の方が生きていかうとするだらうから。
今も「死にたい」と思う夜はある。しかし、まだ讀んでゐない積讀や、老いた母をみてゐると、「まだ死ねないな」と思つてしまふ。私は誰かの理由にはなれてないけれども、それでもこの世界に居るのだつた。
それでも、「つづける」を押してゐる
死にたいけど、死ねない。
生きてゐたいけど、生きてゐたくない。
そんなふたつの心が、胸の中でぶつかつては、交互に浮かんでは沈んでくのである。
私はきつと、ただ「少し休みたい」だけなのだ。人生というゲームを、一度セーブして、電源を切って、布団にくるまって眠りたい。何も背負わず、何も決めず、しばらくの間、現実からログアウトしていたい。
多分私は人より疲れやすいんだと思う。どんなに眠っても、どんなに頑張っても、すぐ心と體力がすり減つてしまう。
だから、死にたいと思う日もあるけれど、それでも「つづける」を毎日選んで、今日も私は生きている。
生きるだけでいつぱいいつぱい――でも、それでも、生きてるだけで、きつと、充分なんだ。
「をはる」のは、多分、また今度でいい。